代表取締役 長島 勝
昭和40年に就職した㈱電通では、入社早々、クライアントの新規開拓という最前線に送り込まれた。
昼夜を問わずクライアントの営業開拓に専念する傍ら、以前から密かに思い描いていた構想があった。
① 企業活動が受け手である生活者に正しく理解されるようにディスクローズする必要から(特に第三国貿易で国に貢献している総合商社が、当時利益追求の"悪"のレッテルを貼られていた)、企業活動をもっとメディアを通じて知らせたい。"税務署と記者は嫌いだ"という企業経営者が安心して取材を受けられるようにしよう。公正な記事・報道のための取材活動が円滑にできるように取り持つ、企業・メディア・社会をつなぐ存在が必要だ。
米国ではすでにラルフネーダーがPR会社を立ち上げていた。自分も、広告・宣伝と一線を画した真のPRビジネスを日本に築きたいと思案した。
② 日本はやがて自由化になり世界中の企業が入り込んでくる。その時に備えて学歴学閥に関係なく、実力、やる気のある30代の優秀な人材を、能力・特徴・経歴などをデーターベース化しておいて最適なポジ ションに送り込みたい。
この計画は、後に社業「人材紹介業開発」(厚生労働大臣許可13 - ユ - 010176)として結実。
そして昭和42年10月に①の仕事で㈱ユナイトPR(現㈱ユナイトパブリックリレーションズ)を銀座1丁目の奥野ビル (3坪) に設立した。
幸い大手企業が相次いで当社の理念に賛同し、その年と翌年には文具・事務用品メーカー、総合商社、百貨店、その後世界一の車メーカー等がクライアントに加わった。創業当初からのクライアントのPR作業は、今日加わった新クライアントのPR作業のように、現在も時代適応しながら続けられている。
信用を重視し、その企業に惚れ込んだら、何年かけてもとことん営業開拓に訪問する方式で、1社1社とクライアントを増やしてきた。
当社で、社会人としての土台基礎を叩き込まれた若者たちは、学者・小説家・会社経営者・記者・PR会社社長等、各産業界で活躍している。